時間の経過。
これに逆ったり、止める事は少なくとも今現在人類は出来はしない。
もしかしたら未来永劫出来ないかもしれないけど、
それに似た別のやり方は将来人類が発見することはあるのかもね。
時間の経過は多くの影響を本人にも周囲にも与える。
本人に対して代表的な例をあげれば老いによるもの。
集中力、記憶力、視野、聴覚、体質の変化など上げ始めたらきりがない。
残念ながら人間の体は長い時間を生きられるように設計されてはいない。
例えば普段生活していて視界に入る全ての老人の方の20代を想像してみて欲しい。
身長は?記憶力は?視野や聴覚、歩行速度は?そして人格は?
恐らく我々が見ているものとは全く別人であろうことは容易に想像が出来る。
そして時間の経過は周囲にも影響を与える。
親、兄弟、親戚、友人の加齢による生活の変化。
上記にあげた多くの時間を共にした人間と一緒にいられる時間は
人生において何年程度なのか。実は厳密にいうと大した長さのものではない。
自分自身の体に変化も起これば、周囲の人間も変わっていく。
自分自身の集中力、記憶力、視野の低下は長時間のFPS系のゲームを困難にする。
職場においては指示を乞う人間は増える一方で教える対象も増え続ける。
必然的に判断を求められれば、同時に責任も求められる。
判断の連続の中で周囲に指示を出す自分自身がいつしか傲慢にも思えてくるし、
その判断が正しいと予想出来る経験と自信が自分自身の中にある。
「人は加齢によって傲慢になるんじゃないか」という仮説を考えたこともある。
この日記で何が言いたいのかって趣味の話をすれば「ずっと楽しめる趣味」
そういうものはなかなか存在しないと思う。
FPSもWOTもFF14もいつかは飽きが来るというよりどこかで限界が来る。
就職や結婚という人生のイベントもあれば、配置転換等の生活リズムの変化もある。
「ずっと一緒に楽しめる仲間」も「ずっと一緒にいられる家族」も存在しない。
時の経過という力の前で変わらずにあり続ける事は非常に困難だ。
結局は今の自分に合う生活リズム、趣味、人間関係を探し続けるしかないと思う。
配置転換の多い職場で転職も経験してきた。
社会人になってもう何人の部下を持って、何人の同僚と上司を持ったのか。
もはや存在を忘れて、名前も顔も忘れている人間だらけになってきてる気がする。
我ながらこの日記は何を書きたいのかわからなくなってきた(笑)
とりあえず今言えることは最近自分がゲームに求めてみるのが「楽なこと」だと思う。
短時間で結果が出て、ストレスの負荷が少なく、他者に影響されず、
1人でやりたい目標を進んでいける。そういう「ライト」な部分がFF14にはある。
MMOというと拘束時間の長さと結果までの道のりの長さをイメージするが、
FF14はそういう部分が少なく、ライト層のゲーマーを想定しているのが強みだと思う。
しばらくはFF14やるけどそのうち戦車には戻ると思ってるけどね。